ルービックキューブ:大会出場の思い出

7/30/2001: 当時の日記がありましたので、下記の文章は改定する予定です。

初めての大会

6面との遭遇

ルービックキューブの発売された1980年、machanは中学1年でした。その年の7月25日に発売された訳ですが、そんなパズルが発売されたと知った頃には、既に爆発的な売れ行きからなかなか手に入らず、半年が経過した1981年1月4日、つまり年が明けてからようやくキューブを入手できました。(後から知ったのですが、この時に入手したのはツクダからの正規品ではなかった様です)。
さて御多分にもれず最初はさっぱり6面どころか1面も揃いませんでしたが、1月18日、1面を揃え2段目を揃え→崩しながらも裏の1面を揃え2段目を→また表の1面を揃え、とやっているうち偶然6面が完成しました。前後して折よく雑誌「サンデー毎日」に学習塾講師の手によるキューブの作り方が連載された事もあり(僕の住んでいた地方は比較的田舎で、町に本屋がなく、得られる情報と言えばたまたま親が読んでいたその雑誌だけだったのです)、連載が進むにつれ6面が揃えられる様になりました。1981年2月11日の平均タイム1分10秒、ベストタイムは50秒との記録が日誌にあります。

ルービックキューブコンテスト

そして81年の3月11日。地元マスコミや商店などの主催による「'81外車ショー(ちょうどスーパーカーブームでもあったのです)」が岐阜産業会館にて開催されるという広告が地元紙に掲載され、イベントの1つにルービックキューブコンテストというのがあるという事を知りました。世間知らずの中学生だったので、どの程度のレベルの大会なのかは全く知りませんでしたが(冷静に考えれば、地元紙に掲載されている地元のイベントなので、岐阜市近郊から参加してくるごくローカルな大会だというのが判りますが)、とにかく参加してみたいと思い定員50人の枠目指し、応募葉書を出しました。実はこの年の1月に第1回の全国大会が開催されており、テレビのニュースでちらっと映像を見た事があり、そんな訳でローカルな大会じゃなくて全国から集まってくるのかと勘違いしてたんだと思います。前日の時点でのタイムは、悪くて55秒、良くて30秒台と日誌にあります。
大会当日。母の運転する車で産業会館に向かい、早速エントリーしようとしたのですが、持参のキューブがツクダ製ではないということで、そこでようやく本物のキューブを入手し、ゼッケン19を貰いました。純正の新品キューブは固く、大会開始までに一生懸命慣らしましたが、同じような光景があちこちで見られました。確か定員50人だった筈が、良く見ると50以上の番号を付けた人もいっぱいいます。そもそも大会というものに参加するのが(運動会や学芸会など学校関係を除けば)初めてだったので、とにかく緊張しました。

予選開始

いよいよ大会開始です。最終的に90人以上が参加しました。年齢もばらばらで、女の子もいたかもしれませんが良く覚えていません。まず18人ずつステージに上がり、この中から10人ずつを選出する事になりました。90人ちょっとのエントリーから本来の50人を選出する訳ですね。この最初の予選の時に初めて「キューブの崩れ方でタイムが違ってくるけどどうするんだろう」という疑問が解決しました。ステージ上で隣り合った人とお互いにキューブを交換し、相手が作りにくい様にバラバラに崩して、自分は相手が崩したキューブを受け取るのです。そして、スタートの合図で一斉に6面を揃え始めて、出来た人から順に完成したキューブを頭上に掲げます。
第1予選は2組目だった訳ですが、その中では2番目位に早かったみたいです。この様にして、何度か予選を繰り返しました。3次予選までで最終的に10人を選出したのですが、僕もなんとかその中に残る事ができました。

決勝戦

決勝戦に残った中には、1次予選か2次予選の後、控えの間にちょっとだけ話をしていた18歳の男の子もいました。ゼッケン1という事はまっ先にエントリーした訳で、よっぽど自信があたのでしょう彼は当時僕が知らなかったパターンキューブ(模様を作る)の色々なパターンを6面完成状態から見ないで作れたりして、明らかに僕よりもキャリアがあり、あまり勝てそうに思えませんでした。
決勝戦は今までと違い、スタッフが予め用意した(崩しておいた)キューブ3個がテーブルの上に置いてあり、それを3個連続で完成させるというものでした。人数の関係(用意したキューブの数の関係?)から10人を2つのグループに分けて5人ずつが勝負し、最終的に合計タイムが早い順に順位が決まる様でした。
急に方式が変わってちょっと戸惑っているうちに決勝戦がスタートしました。1個目は手間取ってしまい、ゼッケン1が作り終わってからしばらくかかってようやく完成しました。2個目で差は少し縮まった気がしましたが、それでも負けている事に変わりはありません。ところが3個目、相手がどうも苦戦している様で、なかなか相手の完成の声があがりません。そうしている間にこちらの3個目のキューブが完成し、ハイっと声を出して挙手をすると、殆ど同時に相手の声もしました。他の3人が完成するのはもうしばらくしてからでした。この時点ではそれぞれのタイムは判らず、残った5人のグループの対決を見る事になりました。
2グループ目も終わり、いよいよタイムと順位の発表です。少なくとも1グループ目の中ではトップ2だし、2グループの中にはそれより早いタイムは無さそうだったので、多分ゼッケン1と僕のどちらかが優勝ということでしょう。そして明らかになったタイムは、僕が4分12秒6、ゼッケン1が4分12秒8ということで、10分の2秒の差でかろうじて僕が優勝する事ができました。
優勝賞品は、開催に協賛していた地元(岐阜柳ヶ瀬)商店街の玩具店からの秀月製五月人形でした。5万円程度の品だったそうです。こうして僕の初参加の大会で優勝する事ができました。

玩具店主催の大会たち

その後、時々広告などでキューブ大会の情報があると母に連れていってもらい、どんどん参加していきました。それらは全て、玩具店などが客集めの為に行うイベントで、最初の大会のような規模ではなく多くて10人20人というもので、少ない時は本当に数人というものでした。その少人数だった時の賞品にスペースシャトルという8角柱キューブがありましたが、後はあまりパズルやキューブとは関係ない、オセロゲーム(一応ルービックキューブと同じくツクダオリジナルですね)とかが多かったです。そうした小規模の大会に数回出てしばらくのことです。6月7日にまたしても岐阜産業会館にてテンビリオン大会が開催されるという事で注目していたのですが、さらに同じ場所で午後に、今度はルービックキューブ全国大会の予選が行われるとあったのです。

第2回全日本大会(ジュニアの部)

県大会

中部ブロック大会

全国大会


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