machan's computer history

Aug 3, 1998 ナイコン族時代の話を書くのを忘れていたので追加しました

僕のパソコン歴は98年8月で大体17年。中学の1年の時に(80年末)、理科の先生からゲート回路について教えてもらったのが始まりです。(なんといきなり加算機とか7セグメントLEDで数値を表示する為のゲート回路を組んだりした)
それからすぐに、「ラジオの製作」付録に付いた「ベーシックマガジン」創刊号(付録版)を読んで、 BASIC という言語があること、フローチャートというものを知ります。また、タイプライターというものが身近に無かった為に、ベーマガに載っていたキーボードの配列は、ノートの裏に書き取って、キー入力の練習をしたものです。(嗚呼、ミカン箱に鍵盤を描いてピアノの練習をする様な美談だなぁ(笑))。この頃はまだワンボードの記事もあって、8080 のインストラクションコードなんかも眺めていたりしました。
やがて、「初歩のラジオ」のパソコン入門記事などを見ながら、パソコンが置いてある電気屋に車で連れていってもらったりバスで通ったりして、ナイコン族となります。ナイコン族というのは、自分ではパソコンを持ってないけど、電気屋等の店頭に置いて有るパソコンを使って、自分のカセットテープに、打ち込んだプログラムをセーブしたりするのです。当然店にプリンターなどは無いので、プログラムは全部紙に書いておいて、それを店頭で打ち込むんでデバッグするのです。当時良く使っていたのは、そういう訳で、カセットデッキが一体化されていた MZ-80K2 とか MZ-80B とかの機種がメインでした。この機種に搭載されていた BASIC は、キャラクターエリアのグラフィックが豊富だったり、print 文中にカーソルキーのコードを直接記入出来たりして( " キーを押すとコード入力モードになりカーソルキーを押しても矢印だけが出て来て、もう一度 " を押さないと普通のカーソル移動が出来ない)、 BASIC でそこそこのゲームっぽい絵を描くのに適してました。
初めて買った(買ってもらった)パソコンは、今は無きコモドールの VIC-1001 。 Apple II やファミコンと同じ 6502 という CPU のマシンで、家庭用テレビに直接繋がり、当時でも画期的な安さ¥69800.でした。またロムカセットの概念があり、ゲームのカセットも売っていました。
色々と父親から頼まれたプログラムを作ったり、仕事の手伝いの関係で周辺機器を拡張したりして、とうとう1年後には父親が PC-8801 初代(キーボードケーブルが異常に太い)を購入。使うのはもっぱら僕でした。
それから半年もしない内に PC-9801 発表と同時に買い替え。買った数本の 88 用ゲームは全滅ですが、自作プログラムは BASIC だったので何の問題も無く移行。あの頃は主にカセットテープ、次に 8" ディスクを使ってました。
更に1年後、 PC-9801E 発表と同時に買い替え。この辺は車がモデルチェンジする度に買い換えていた父らしいというか。
さて、高校進学に伴い83年春、僕も VIC-1001 を売って富士通の FM-7 を購入。タモリが宣伝してた奴。
1年後 FM-7 を売ってソニーの SMC-777 を買いました。人々のヒットビットと言ってアイドルだった松田聖子が宣伝してた奴です。 4096 色中 16 色を出す事が出来、素晴らしく速い 3.5" 1DD ディスクを1台搭載してました。
98 は相変わらず父の仕事関係のプログラムを組んで、 8086 のマシン語等も使ってました。
大学合格と同時に新たに Panasonic の MSX2 ( MSX の最新企画で、同時発色数の強化等されていた)である FP-1000 (だったっけな、トラックボール付きの最高機種)を購入しました。
さて86年も暮れになるとシャープから一大事件となるマシンが発表されます。 X68000 です。これを87年3月末、発売と同時に購入。この頃はまだ Macintosh は雲の上のマシンで触った事も無く、X68000 が初めてのマウスオペレーションマシンでした。本体添付のグラディウスなどで良く遊びました。早速 68000 のアセンブラを使って X-BASIC の外部関数を作ったりしました。
89年2月だったかな、今度は富士通から FM-TOWNS 発表(初代宣伝キャラクターは南野陽子)。これも発売と同時に購入しましたが、デモを見たりしつつも CD-ROM の遅さや OS の使いにくさ(実は就職するまで MS-DOS をまともに使えなかった)開発環境の無さで、3ヶ月ほどで売却。
そういえば、PC-9801E を父に送り返し、自分が PC-9801RA2 を買ったのは87年だったか88年だったか?
そうこうする内に89年10月スクウェア面接&合格。そこで初めて Macintosh と遭遇します。最初は坂口さんの使ってたお下がりの Macintosh SE に 68020 アクセラレータを搭載したマシンがあてがわれました。当時のシステムは漢字 TALK 6.0.2 あたり。ようやく LaserWriterII で日本語でも DTP が綺麗に出来る様になり始めた頃ですね。スクウェアの求人広告の売り文句は「一人一台マッキントッシュ支給」。90年になり SE から IIcx に格上げ。それ以降は IIci → Quadra700 → Quadra800 → PowerMacintosh 8600/250 となっていきます。
個人で Macintosh を買ったのは91年暮れの Macintosh IIsi かな。実は一番長く使っていたマシンで、今でも家にあります。96年夏、初めての PowerPC マシン PowerMacintosh 7600/120 購入。97年夏、初めてのポータブルマシン PowerBook 2400/180 購入。98年夏、2400 を義弟に売って PowerBook G3 292/14" 購入。今後は iMac を購入するかもしれません。
ちょっと戻って戻って91年初頭、生まれて始めてパソコン通信を体験。そこでもういきなり自分でもパソコン通信ホストをやってみたくなり3月には開始していました。その後AAAの拡張に伴い、RS-232C ボードの追加や HD の追加をしていきましたが、処理速度の向上の為に93年頃かな、すっかりパソコン通信ホストマシンになっていた PC-9801RA2 に ODP を搭載しました。更に95年10月には RA2 を退役させ、PC-9821Xf をたまたま破格で購入。これは現在もAAAのホストマシンとして使用されています。
一方縁のなかった PC/AT 互換機ですが、96年1月、いきなり自作の道に入ります。これは aaa-int.or.jp のサーバマシンとして、生まれて初めて Linux をインストールする為、素性の判った部品だけ使いたかったからです。97年3月にはスペック重視でもう1台新作。これが今に至るまで aaa-int.or.jp のメインサーバーとして使用されてます。
以上、僕のパソコン歴について簡単にまとめてみました。


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